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書評

黒田明伸著

『貨幣システムの世界史』岩波書店2003.1.刊行

『東洋経済』2003.4.12. 56.

 

 地域の内部と外部のあいだに交換レートの差が生じるのはなぜだろうか。二〇世紀はじめの中国のある農村では、農民が自分たちの生産物を売却する際に、銅銭一三〇〇文に値する銀貨一枚よりも、銅銭一〇〇〇文を要求するのが通例だったという。このように銀貨と銅銭の交換レートが異なるのは、そこに貨幣共同体の非対称性があるからであろう。そうした非対称性がある場合、たとえ中央当局が貨幣を一元的に管理したとしても、地域内部では小額通貨が独自のレートによって流通してしまうことがある。地域は固有の自己組織的メカニズムをもっており、貨幣流通の不安定性や政府の介入に対して、いわば「地域社会の防衛」を試みるからである。

 歴史を見渡すならば、国家による貨幣の一元管理は、必ずしも地域経済を活性化するとはかぎらない。地域を活性化するためには、地域ごとに複数貨幣のシステムを構想することもできよう。著者はそうした関心を背後にもちながら、政府の通貨管理に依存しない貨幣システムの事例を世界史に広く求めている。例えば、一九世紀から二〇世紀初頭のアフリカ植民地において流通したマリア・テレジア銀貨や、一八世紀末のベンガルに競合的に共存した銀貨などを取り上げ、その歴史的生成と消滅を説明している。

とりわけ興味深いのは、法の執行力や政治の支配力といった外生要因に依らない民間貨幣として、中国の農村に流通した貨幣に注目する点であろう。政治を媒介せずに現地の通貨が自生するための条件は、在庫や取引空間の範囲、取引の匿名性や自由度、通貨の受領性や額面の種類などによって、比較制度論的な視野から鮮やかに解明されている。

 さらに地域貨幣の自生的発生という問題に関しても、本書の考察は大変興味深い。従来、貨幣の自生的生成を説明する理論はメンガー流の「欲望の一致説」であった。貨幣は、人々の異なる財と欲望を一致させる媒体として有用だから自然に生成する、という説明がなされてきた。しかし貨幣が有用であれば、それは外部(政府)によっても供給可能である。欲望の一致説はこうして、貨幣の生成論理から容易に貨幣管理の思想へ転化してしまう。これに対して著者が注目するのは、同じ財が異なる時期に交換される際に生じる「内部貨幣」であり、消費する時期を互いに留保しあう人々のクラスターが、地域の自律的な貨幣流通を生み出すという点だ。いわば「時の交換」として機能するこの貨幣は、今日の地域通貨を考える上でも示唆的である。欲望よりも時間の希少性を知らせる貨幣という発想には、何か大きな魅力を感じる。

 

橋本努(北海道大助教授)